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浦田浩志

Sep 9, 2026

【取材後記】「空を見たらいいよ」庭師・安諸定男さんと新肇さん(雑誌庭NIWA265)

CATEGORY | 取材後記

雑誌『庭NIWA』の次号(265号)で担当した記事のひとつが、リビングレジェンドの安諸定男さん(安諸庭園)と、福島県郡山市の庭師・新肇さんの対談です。実は、私、2009年から庭の業界と関わっているのですが、お二人とはその初期からのつながり。取材をしながら、なんだか昔のことも思い出してしまい、とても感慨深くなりました。ちょっとそのあたりの昔話も入れながら。

安諸さんですから「底力」の話はありますよ。でも

まず、安諸さんですが、私が雑誌庭(当時のタイトル表記)で連載を担当させていただいたのが安諸さんでした。当時は親方として現役バリバリ。その方に石積や橋など、庭園で作られる各所における作庭論を語っていただく『安諸定男の作庭技塾』という連載特集でした。なぜ私だったのかですが、大親方に対しては予備知識があるほど、つまらない記事なるのではないかと当時の雑誌庭の編集長、豊藏均さんは考えられたようです。つまり、相手をリスペクトしすぎると質問が確認作業ばかりになっちゃう。そこで、庭のことは分からないけど、商業誌でトップ取材などを担当していた(小生意気な)私に白羽の矢が立ったとのことです。都合18回、189号から206号までの連載でした。私自身も当時は(今もそうですが)、何か爪痕を残さなければということで、そこらのライターにはできない仕事をするんだと意気込んで取り組みました。

やってみておもしろかったのは、取材そのものです。通常の取材やインタビューって、事前に「13〜15時まで(撮影時間込み)」みたいに時間が決められています。でも、職人さん取材を始めて知ったのは、丸一日になるということ。「あそこも行ってみましょうか」「昼になりましたね。食事でも」みたいになっていく。そして、安諸さんに関してはその傾向が非常に強い。午前に安諸庭園に伺ったものの、気付けばまったく別の地域を散歩しながら作例を見て解説してもらい、出先の蕎麦屋さんでお昼ご飯を食べ、なんなら温泉にも入って帰ってから雑誌用の話を聞くみたいな。でも、そのようにして話を聞いてきたからこそ、今回のインタビュー・執筆につながっているのだと確信があります。絶対に私にしか聞けないことがある。やはりね、底力の話にはなります。でも、これまでの連載や別の方が書いたようなことではない事実を掘り起こすことはがんばりました。

雑誌に書けなかったことで言えば、安諸さんは若い頃に日本全国を放浪しながら庭のこと、特に庭の心について学んだそうです。その中でも記憶に残っているのは、広島の杉本さんという庭師の方。「誰が来ても、いつでも、お茶を入れられる。いつも準備ができている。心構えですよね。広島には長くいました」と語られましたが、このことはかつての連載で「君は読んだ本を机の隅に置けますか」という話に通じます。その本を「これでいいのだ」と治められるのか。安諸さんの人生の振り返りでもあるので、「生き方」について多めの記事になっています。

▼取材データ
安諸定男(やすもろ さだお)
安諸庭園(東京都町田市)
代表作:VISVIM GENERAL STOR(東京都目黒区)、湯島天神(東京都文京区)、妙定院(東京都港区)、九つ井・宇庵(神奈川県横浜市)、箱根翠松園(神奈川県箱根町)、本田宗一郎 邸 (東京都新宿区)、など ※おにわさん掲載の「安諸定男」ページ
著作:日本庭園は夢と心 安諸定男の作庭記 (石文社)、雑誌庭NIWAの掲載履歴(雑誌庭時代のものは除く)

新さんが安諸さんから影響を受けたこととは

新さんもまた、2009年から2010年の頃、つまり私のキャリアの最初期に出会った庭師さんです。当時から「安諸さんには多大な影響を受けた」と話していました。それから何度もお会いしていますし、雑誌庭NIWAでは新さんが作られたお庭の撮影もけっこうしてきました。その度に泊まりで行っているので、私には新さんとの思い出がたくさんありながらの取材だったのです。

新さんといえば、庭師のつながりに明るい方なら「福島県のすごい庭師さん」というイメージをお持ちではないでしょうか。確かにそうなのですが、私としては、かなり悩まれたり考えられたりしているところを垣間見せていただいたような気がします。もちろん素晴らしい庭もたくさん見せていただきつつ。

最も古いところで思い出すのは、2010年くらいに突然、新さんから電話がかかってきたこと。「用事があってせっかく東京まで来たんだけど、誰かと飲みたいな。でも、気分が庭師さんじゃないんだよね…」という内容でした。私からすれば、「本当に私で良いのでしょうか?」という話なのですが、お眼鏡にかなったのならば行かねばということで。なぜか椿山荘へ行ったり月島をうろうろしながら飲みに行きました。その頃の庭師業界は、学びたい欲求が高まった庭師さんたちの交流がとても盛んな時期でしたが、その熱に当てられて頭を整理したいというのが私に電話をくれた理由でした。

その後、2011年に東日本大震災があり、福島県の新さんは大きな影響を受けました。神奈川県にいた私ではちょっとこれはうまく書ききれないかな。最も想像を超えていたのは、当時を思い出してほしいのですが「木々の葉っぱのベクレルが高い」とか「落ち葉のところは放射性物質が溜まる」という報道です。そして、それは事実ベースではあるのですが、緑が人々の敵になってしまったことに当時の新さんはとてもショックを受けていました。また、行政の指導で「自宅で出た汚染土は自宅の敷地内に深く埋めて処理をすること」という方針で、そのような工事もたくさん経験したそうです。

だから、そういう経験がありながらも平成30年に一般社団法人日本庭園協会の「第12回 庭園協会賞」を受賞された時には、仲間の人たちも私もとても嬉しかった。庭づくりと庭師が困難を乗り越えたんだって。

その後も何度も新さんとお会いしました。数年前のある時見せていただいた土塀は、明らかに作り込みがMAX。どうしてこんなに?と聞くと、新さんは「直前に安諸さんと会って影響を受けちゃった(笑)お施主さんが好きにやって良いというからどんどんやっちゃって」と話されていました。それを聞いて50歳を超しても純粋に影響を受けたり、試してみたいことがいつでもあるんだな、それが職人さんなのかなと思ったのを今でも覚えています。

▼取材データ
新肇(あたらし はじめ)
有限会社 創苑(福島県郡山市)
代表作:懐石料理店「懐石こと」(福島県郡山市)、喜多方の庭(福島県喜多方市)、など
著作:雑誌庭NIWAの掲載履歴(雑誌庭時代のものは除く)

そんなお二方の取材で印象に残った会話

実際にインタビューと執筆を終えて、あらためて特別な時間だったと思います。
安諸さんは、「もう、いろいろ忘れちゃうよ、年だもの」と言いつつも、芯を食ったテーマになると目がギラギラされ、どんどん話が出てきます。取材の裏側的な話では奥様にもたくさんサポートしていただきました。「あの時は、こうだったよ」みたいな。その中で、新さんが聞いたんです。

新:「心」の大切さもありますが、「感性」も大切だと親方からよく聞きます。どうすれば感性を養えますか?

安諸:いろんなものを見る。絵を見たり、建築を見たり。あと、空を見たりね。

そうか。空を見るのか。思えば安諸さんの作風は、日本の里山の風景の中に桃花源記などの中国の故事が含まれています。放浪の中で見てきた景色、人や資料から与えてもらった頭の中にある景色。それらを、空を見ながらひとつの想像(計画)にされていたのだろうな、と。

続きはね、10月1日の本編にてご確認ください。お楽しみに。

▲左:雑誌庭NIWAの澤田忍編集長、左2下:安諸定男さん(安諸庭園)、左2上:新肇さん(創苑)、左3:著述家・浦田浩志、左4:安諸さんの奥様

【余談】新さんが受賞した第12回の庭園協会賞ですが、同じ265号の別の対談で担当した河西力さん(with熊谷昌樹さん)は第1回の庭園協会賞の受賞者。そして、安諸さんと河西さんといえば、今や伝説となっている湯島で行われたお二人の対談。あの記事のまとめも私だったんですよね。当時の編集長さんや会場にいた方々は「噛み合ってないけど、なんかすごかった(笑)」と話されていました。でも、私は当時からずっと共通項を感じていて、それは山頂が同じ、そして登るという行為が同じだということ。登山口が違うから登山の仕方も変われば見えている景色も違う。でも、「山頂」と「登る行為」は同じだとずっと思っていました。そして、今回、そのお二方の対談をそれぞれ担当してみて、それは確信に変わりました。ですから、本誌では読み比べてみてほしいです。

【メモ】安諸さんと新さんとの思い出といえば、お月見の会です。2012年くらいだったかな。東京都町田市の大きな邸宅のデッキを月見台として作られているお庭を取材したのですが、それを見て私が「こんな月見台でお月見をしながらお酒飲めたら最高だろうなぁ」とボソッと言ったんです。そうしたら「やりましょう」と。で、私はてっきりそのお宅のデッキでお月見をするものだと思っていました。でも、そうこうする間に安諸さんは新さんに電話をかけ、新さんが景色の良い別宅?を持っている方に頼み込んでくれたのです。
そもそも安諸さんは若い時に郡山にも長くいてそういうことも大きく影響した模様。ということで、なんやかんやで郡山でお月見をすることになりました。もう、意味が分かりません。そうなっていくのです、庭師という方々とお付き合いしていると。その往路では佐野SAで佐野ラーメンをおいしそうに食べる安諸さんが記憶に残っています。そして、お月見の本番。これまたなんでか全国から庭師が集まり、総勢30名ほど。どこで寝るの?状態のお月見になったのですが、夜に嵐がやってきてお月様など、どこにもなく。翌日は快晴になって、これまたなぜか福島の鍛冶屋さんに連れて行ってもらい、それが道具連載の佐藤鍛冶屋さんにつながっていきます。まとめると、よく分からないことが起こるのが庭師の世界であり、安諸さんは間違いなくその筋でもトップクラスの方なのです。
<このブログ記事をアップした後日談>
新さんからメッセージをいただきました。
月見、やりましたね、大雨の夜になってしまいましたが。 その時の大広間の額にあった漢詩『人生感意気 功名誰復論』親方がすらすらと読んでみせて、意味も教えてくれました この漢詩からはかなり逸れた人生を歩んでいる私ですが、今後ともよろしくお願いします!
※人生感意気 功名誰復論:「じんせい いきにかんず、こうみょう たれかまたろんぜん」とは、人生感意気=人間は、相手の熱意や心意気に深く心を動かされる。功名誰復論=手柄や名声(功名)など、どうでもよいではないか

▼クレジットデータ
本記事の取材・文:浦田浩志(@uracci)
掲載:『庭NIWA』265号(2026年10月1日発売)
イラスト風写真:浦田浩志(元データ提供:雑誌庭NIWA編集部)

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